ちゃんと書く10(ゴッホ 2/2)
↑上のブログの続き。
実は「ひまわり」を描いたのには
ある目的があるんですよね~
ゴッホは南仏に渡ったあと
知り合いの画家達を一つの家に集めて
共同で生活しようと考えます。
そしてそこに8展のひまわりの絵を
飾ろう!と思いつくんですね🌻
そしてその家というのがこちらの家。
《黄色い家》1888年
ファン•ゴッホ
この絵は一昨年末に
福岡市美術館に来てました!!
「ゴッホ展」
皆さん行きましたか??
行った人なら分かると思いますけど…
もっと黄色くてもっと青い!!
びっくりしました…
全然ちゃうやんか…
って。
やっぱり本物を観ないとね。
全然違うからね。うんうん。
ゴッホは若干メンヘラですけど、
いや…かなりメンヘラなんですけど、
もうこうやって勝手に
突っ走って家まで用意して
皆おいでー!って言うんだけど
だーれも来なかったんですね。
唯一来てくれたのがそう、
ポール•ゴーギャンです。
ゴーギャンが描いたゴッホがこちら
《ひまわりを描くゴッホ》1888年
ポール•ゴーギャン
ただゴーギャンもゴッホのメンヘラに
耐えられず2か月で
黄色い家を去ってしまいます。
ゴーギャンが去った後に
ゴッホが描いた絵がこちら。
《ゴーギャンの肘掛け椅子》
1888年
うん…
めっちゃ寂しかったんだね…
まぁ、仕方ないさ。
自分の耳切り落としちゃうんだもの。
怖いよ…怖い怖い。
有名な耳切り事件の後に
制作された自画像がこちら。
《パイプをくわえた自画像》
1889年
包帯まいてる
自分の切り落とした耳を
馴染みの売春宿の娼婦に
送りつけるという
意味不明な行動を起こして
まぁ、大変な事件になります。
周辺住民からも怖がられます…
この事件をきっかけに
アルルの精神病院に強制送還され
監禁されちゃうんですよね…
二度の精神病院送りを経験しますが
その後幻覚に苦しむようになり
サン・レミの療養院に
入院することを決めます。
サン•レミの病室で
描かれた絵がこちら。
《星月夜》1889年6月 サン•レミ
有名な作品ですね。
糸杉と夜空に瞬く星の光の
表現が見事です。
体調が回復したゴッホは退院後
オーヴェルという農村で生活します。
そして1890年7月27日
日曜日の夕方に怪我をしたゴッホが
住んでいた旅館にたどり着きます。
なんと胸に銃弾を受けていて…
誰が打ったのかは諸説ありますが、
これはまたの機会に。
その二日後の7月29日に
37年の生涯に幕を下ろしました。
なんという人生。
私の知っているなかでも
随一のメンヘラです。
ゴッホは弟テオに向けて
膨大な数の手紙を書いているので
彼の人生については細かく
知ることが出来ます。
なので気になる方は
是非調べてみてください
ちなみに!
ゴッホが亡くなった年には
先日ブログに書いた
エゴン•シーレが生まれていて
シーレは後に自分とゴッホの繋がりを
意識するようになるんですね~!
面白い!
それでは!
また次のブログで。
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