【犬】愛と迷惑、言い訳と絆について考える【どしたん哲学】
ども!赤城です!
きょう18時くらいから~
指名あればラスト、なけりゃ23:30くらいまでいます!
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迷惑をかける、かけられる
というのは
ひとつの愛の表現なのではないかと
思います
(急にどしたん哲学)
なんかね、
迷惑って、かけるのもかけられるのも
遮断しすぎると、とっても生きづらくなるし
悲しくなってしまうので
どういう形であれば、ボジティブな「迷惑」ができるんだろう
と考えていたんですね
一方的に、自分のためだけを思って
人に迷惑をかけるのは、きっと良くないのかもしれないけど
相手ができるそうな範囲で、
少しだけ頼ってみるのは
人との関係性を作る上で
割とポジティブに解釈されて良い行動なのではないかと思いました
ていうか、
私、人を頼るの、かなり苦手で
ひとりでとても抱え込みやすいタイプなんですが
勝手にしょいこんで、結果的に人に迷惑をかけることがあったので
今は意識的に、小さく人に頼るということを
しようと思っているフェーズです
元々人に頼れる方は「何を当たり前のことを話しているの…」と思うのかなと。
なので今回のブログは、「迷惑をかけられない、人を頼るのが怖い・苦手だ」という人に向けたブログというのを
あらかじめ説明しておきます。
迷惑は、程度や解釈次第では、一つの愛の表現になるような
気がしたのです
最近、私は、
男女関係なく、一緒にいて心が落ち着く人には
少しだけ、相手が可能な範囲で
甘えてみることを心がけています
たとえば
「なにもしなくていいから、話を10分だけ聞いてほしい」とか
こないだ買ったお茶、一人で飲みきれないから、
父に「これ、急須のお茶、半分飲んでくれたら嬉しい」
とか
相手が多分できそうな
小さいことを
少しだけ頼る、「甘える」のを
心がけています
それは、単なる「モテテク」
ということではなくて
恩や、貸し借りという概念を
「あなたと一緒にいる言い訳にしたい」
ということでもあるんです
大学生の頃
よく、喫煙所にはライターを持たずに入ったんです。
気になる人に「火を貸してほしい」
と言って、話すきっかけを得るためです。
なんていうのかな、
ほんまに、ストレートに
「あなたが素敵だから、話しかけてもいいですか」
なんて、やっぱり、言えないわけです
言ったとて、
「ちょっと、距離感近すぎて、気持ち悪いな…」
って思う↔思われることもあります
だから、素直なら、ストレートなら、
気持ちが伝わるわけでもないと、私は思うんです。
人との関係性は
特に、誰かと初めて話したり、会うためには
何かしらの
「言い訳」がなければ
うまく話しかけることも
関係を続けることもできないような気がしていて。
だから、その言い訳をするために
小さく人を頼って
感謝をするきっかけをつくる
→話すきっかけをもらう
ということを
多分私はしています。
あざといですね
素直という表現を
どうしたらいいのかわからず
ちょっと回りくどく、こんなやり方になっています
ただ、「迷惑」にも、
愛の交換という
別の、ポジティブな側面があるということを
伝えたいような気がしました
夜の店に関しても
「言い訳くれる装置」と
思える部分があるような気がしていて。
つまり、「気になる女の子に会いに行く言い訳」を提供してくれる場でもある気がするんですね。
だって、まだ本気で好きにもなってない女の子に
「きみ、カワイイから僕と話してよ」
なんて言えないです
(言える人もいるのかもしれないですが、私なら到底できないです…)
話してみて「なんか違うな、合わないな」って思うこともあるし。
そうなったとき、
「なんて言って離れたらいいの」って想像してしまう。
もしダメだった場合、お店という装置を使えば
後腐れなく、離れることができるし
お互い、変な気持ちになることもないわけです
お店には色んなニーズがあって、ビジネスが成立しているんだと思うんですが
そういう言い訳を提供できるのも
きっと、価値の一つなんだろうなと思います
なんていうか
気持ちって、
20%の好きとか
60%の好きとか
いろんな程度があるんですよね
いろんなゆらぎの中で
うまく気持ちを伝えるためには
言い訳って、必要なんです
素直な気持ちって
伝えるのむずいです。
だけど、「小さな貸し借り・言い訳」のように
2人が楽しめる形をとって
伝える事ができれば、
いろんな人間関係が
愛があふれるものになるのかな、なんて
思いました
私は
人懐っこいダックスフンドみたいな
心の持ち主なのかなあ

みんなとハッピーに
過ごしたいなあ
そんな話でした
みにちあ ダックスフンド より
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